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自分の心理的安全性を、自分で高める

エンジニアの梅原です。

少し前から「心理的安全性」というキーワードについて、疑問に思うところがあって色々と考えていて、 なんとなく考えがまとまったので、自戒も込めて文章として書き起こしてみました。

もともと社内向けに書いたものでしたが、思いのほか反響があったためこちらでも書いてみようと思います。 めちゃくちゃなこと言ってんな、って思う人もいるかもしれませんが、際に振ったときの思考実験だと思って読んでもらえると。

心理的安全性とは何か?

一般的に「心理的安全性」とは、以下の定義で語られます。

"A shared belief held by members of a team that the team is safe for interpersonal risk taking." (このチーム内では、対人関係上のリスクをとったとしても安心できるという共通の思い)

Edmondson (1999) Administrative Science Quarterly. 44(2)

参考: https://jinjibu.jp/keyword/detl/855/

よく言われているように、単に「居心地がいい」とか「仲が良い」とか、そういった状態とは違います。 むしろ、些細な問題、疑問、違和感がきちんと提起され、議論がなされるような環境こそ、真の意味で心理的安全性が高いと言えます。

また、こちらの記事の中だと、このようなことが書かれています。

https://qiita.com/hirokidaichi/items/5d8c4294083d85654a04

私は、そのキーワードの意味をできる限り正確に捉えるために、観測可能な事実を重要視します。「心理的安全性」の意味するところ、それは、チーム中にある個人の関係において、「様々な形で課題や問題についての提起がされる」ということに他なりません。これらを観測することによって初めて、内的な感情というヴェールの向こう側にある事態を知ることができます。

つまるところ、心理的安全性が高いとは、「些細な問題であっても提起される」「多く問題に対して自己主張がなされる」という観測可能なチームの状態を意味しています。もし、「心理的」に「安全」だとあなたが思っていたとしても、自己主張を誰もしない状態であれば、それは「心理的安全」の意味するところとは違うと考えられるべきなのでしょう。

今回の記事ではこの

心理的安全性が高いとは、「些細な問題であっても提起される」「多く問題に対して自己主張がなされる」という観測可能なチームの状態を意味しています

 という定義に従うことにします。

個人の心理的安全性

上述したようなチームの状態を心理的安全性と考えるなら、 個人が、特定の個人もしくはチームに対して「些細な問題であっても提起できる」「多く問題に対して自己主張できる」という状態かどうか?というのが、個人が感じる心理的安全性であると捉えることができます。

そしてこの個人の心理的安全性の集合体が、チームとしての心理的安全性になります。

つまり、心理的安全性は、個人と個人、もしくは個人とチームの「関係性の問題である」と考えることができます。

一見「関係性は良い」が「心理的安全性が低い」状態

上述した通り、心理的安全性はあくまで個人と個人、あるいは個人とチームの「関係性」の問題であると捉えることができます。

したがって、そもそも関係性の構築がきちんとできていない状態であれば、当然心理的安全性は低い状態です。 例えば転職・異動直後などは、新しい組織との関係性が構築されてない状態なので、心理的安全性は低くなります。

一方、心理的安全性は、単に「仲が良い」「居心地が良い」という状態とは違う、という話は最初に述べました。

つまり関係性が構築された後でも、一見「関係性は良い」のに、「心理的安全性が低い=問題提起・自己主張がされない」という状態が存在しうるということです。

正直、今の自分たちの組織は、かなりこの状態に陥る可能性があると思っています。

組織としても心理的安全性を高めるために様々な工夫がされていますし、本来心理的安全性は高い状態であるはずです。

しかしそれでも心理的安全性が低くなってしまう状況が発生する可能性があります。それはなぜかを考えてみます。

「○○さんが言うと、それが正解に聞こえる」問題

「関係性が良い」のに「心理的安全性が低い」状態の代表例として、「○○さんが言うと、それが正解に聞こえる」という状況があると思っています。

自分より立場が上の人、自分より知識がある人などと対峙した際に、「この人は自分よりもわかっているから、従っておこう」といった思考により、自分の意見、頭をよぎった違和感が言えない、というような状況です。

これはPdMとエンジニア、マネージャーとメンバーなど、至る所で起きうる問題だと思っています。自分もこの状況に陥ることがたくさんあります。

どれだけ心理的安全性が高そうな組織でも、このような状態に陥る可能性があるのはなぜでしょう?

例えば心理的安全性を脅かす要因として、自分が無知・無能だと思われる不安というものがあります。*1

要は「こんなことを言ったら、自分は無知だと思われるのではないか...?」という不安が、問題や疑問の提起を妨げている、ということです。

これを元に「○○さんが言うと、それが正解に聞こえる」問題を別の形で表現すると 「自分はこの人より無知・無能だから、言っても意味がないんじゃないか」という思考を経て意見を引っ込めてしまっているということです。

つまり、どんなに関係性が良くても、 自分で自分のことを「無知・無能」だと思った瞬間、「自分の意見は無価値」だと思った瞬間に、問題提起・自己主張がされない、心理的安全性が低い状態になります。

自分の心理的安全性を、自分で高める

大抵、心理的安全性はリーダーや組織の問題として語られることが多いと思います。

しかしあえて、今まで書いてきたことも踏まえて、一人のメンバーとして、心理的安全性の問題を考えるとどうなるでしょう?

関係性が構築された後でも、心理的安全性が低い状態について、これを一概に「リーダーや組織の問題」としていいでしょうか?

繰り返しになるが、心理的安全性は「関係性の問題」です。

「関係性の問題」を考えるにあたっては「変えられるもの」は何か?を考えるべきです。そして、変えられるものというのは「自分」の「思考」と「行動」です。

組織として心理的安全性が高くなるための要素が用意されているのであれば、残るは自分の思考と行動を変えることで、心理的安全性は高まるのではないかと考えられます。

まずできることとしては「自分はこの人より無知・無能だから、言っても意味がないんじゃないか」とブレーキをかけてしまう自分をメタ認知し、頭に浮かんだ違和感や懸念を提起する勇気を持つことだと思います。

そしてもう一つ、僕が個人的に辿り着いた結論は 「自分が最強だと思っていたら、自分の心理的安全性は高い」  ということです。

自分で自分に無知・無能であるという認識をさせる隙を与えなければ良い。

まあそこまでは行かなくても、最低限「自分が懸念に思ったこと、考えたことが無価値であるはずがない」くらいまでは自分で自信をつける、そのための努力をしようと思いました。

*1:この辺りの詳細が気になる方は、https://www.amazon.co.jp/gp/product/B00N8J1NPQ などを読んでみてください